
宿探しで出会った日本人男性Kさんの住む街「アワサ」は首都アジスアベバからバスで南へ6時間。
少数民族を訪ねる旅人が道中、宿を取るくらいで、外国人の観光地ではない。
Kさんはここに一戸建てを借り、数ヶ月前から住んでいる。
特に政府関係のボランティアでもなく、商社マンでもない。
数年、日本で公務員として働いていたが、辞職し、ここアワサで自分のプロジェクトを展開している。
学校に行けない(行かない)子供に、小学校の1年生として付いていけるだけの学力をつけてあげる4ヶ月のコース。
「アワサに家借りてるんで、来てもいいですよ」
そんな彼のプロジェクトに興味を持った私は、アワサの彼の家にお世話になることにした。
同じく宿探しで出会った香港からの旅人、Sさんという女性も。
彼女は香港生まれだが、現在中国の田舎で両親のいない子供の世話をしている。
「私も、Kさんのプロジェクトに興味があるの」
うおーゴージャス!
コロ付きのスーツケースではかなり辛い未舗装の道路が広がるアワサ。
馬車がタクシー代わりとして走っている。
外国人はまだ珍しいらしく、「チャイナ?」「ユー!」「マネー!」などと声を掛けてくる人々。
水くみ広場(多くの家には水道が無い)の横に立地するKさんの家はコンクリートブロック作りの4K。エチオピアでは4家族住めてしまう大きくてしっかりした家だ。
粗末な家を馬車で通り過ぎてきた私たちにはとてもゴージャスに見えた。
でもこれで、一ヶ月1万円の賃料。
Kさんは空いている2部屋を私とSさんのそれぞれ与えてくれ、新しいベッドマットや毛布、まくら、シーツまで用意してくれた。なんという親切な人だ。
私とsさんはせめてものご奉仕、とばかりに、男の一人暮らしらしく結構汚れている(ごめんなさいKさん)水まわりや床などを掃除した。
到着したその夜は私の持っていた日本のカレールーでカレーライスを作った。
「やっぱこれよね!」
「This is Japanese national food!」
などといいながら。
翌日は日曜日なので、Kさんの学校は休み。
まったりのアワサの休日を過ごす。
「すずしいなぁ。」
私は少し高山病か?クラクラしていたが。
「ほとんど毎日、自炊してますよ」というKさん。
今夜は彼の作るパスタだ。
灯油を使うストーブ1台と、一人用の鍋とフライパンを駆使して、3人分の夕食を作る。
翌日(月曜日)、7時半過ぎに、Kさんは興味津々の私とSさんを率いて、徒歩30分掛かる道のりを、15分で歩いて登校した。
そう。Kさんの早足は並ではない。
私は、日本では右に出るものは「レレレのおじさん」くらいしかいないほどの早足で通っているのだが、この私を軽く突き放し、あっという間に彼の姿はありんこのようになってしまった。
ぜえぜえ。
未舗装、不案内なアワサの町で迷ってしまう訳には行かない。
必死で、このすずしいアワサの町で汗をかきながら到着したのは、およそ6畳間くらいのコンクリートで囲まれた教室だった。
庭では子供たちが炭火をうちわで扇いで大鍋を暖めている。

「これは朝食用のお茶ですね」とKさん。
この学校の家賃も、子供たちの学用品も、パンとアサンブサ(豆フライ)の毎日の朝食も、木でつくった机や椅子も、先生(ひとり+助手)たちの人件費もすべてKさんの自腹だ。
子供たちは20人くらい。ズボンが破れてお尻が見えている子もいる。
朝食の前に汲んできた水を順番にかけあい、顔と手を洗う。
タオルが無いので顔はぬれたままだ。

みんな静かに、パンとアサンブサを甘いお茶で食べている。私もいただいたが結構おいしい。

そして1時間目。アムハラ語の授業。
アムハラ語はエチオピアの国語だが、いろんな民族がいるため、アムハラ語を知らない子も多い。
まずは先生に倣ってアルファベットの書き方だ。
ストリートチルドレンを集めた学校、と聞いていたので、もっと授業もメチャクチャかと思いきや、みんな熱心に文字のけいこ。
2時間目は算数。これまた文字のけいこ。数字の書き方。
3時間目は英語。これまたアルファベットの書き方。
まぁ、授業が始まって2週間目なので、こういう段階でしょう。。
先生の女性は教員免許のない学生なので、教え方には課題が残る・・・とKさんは頭を抱えている。
そして、Kさんはひとつ問題を抱えていた。
助手のところにキリスト教会の人が来て、「Kさんの学校に自校の子供たちが奪われている」と言ってきたのだ。
「うーん。地元の人とトラブりたくないから、やめちゃうかなぁ」
ええ?Kさん、そんなんでいいの?
「明日、教会の人がくるから、そのときに話し合うしかないね」ということになった。
午後からは、ここアワサの町でこれまた資財をなげうって学校を設立したが、もうリタイヤしたいので、継続者を探しているという学校を、見学。
「スポンサーがいないのです。1年当たり40万円かかります」
うーん、これくらいの額なら、町内会レベルでもお金を集められそうだなぁ。
と思うが、継続してやるとなると難しい。
そうこうしているうちに夕方になり、家へ馬車で帰った。
帰るとすぐまた、Kさんの友人、エチオピア人のヨゼフがやってきた。
きょうはヨゼフの家へ行き、お母さん手作りのエチオピアの伝統食「インジェラ」を頂くことになっていたのだ。

(写真はヨゼフ)
休憩もそこそこに馬車に乗り、ヨゼフの家へ。
ヨゼフは中学校の化学の先生。25歳。お母さんとお姉さん、姪っ子と暮らしている。
ヨゼフのお母さんは、日本人であるkさんを自分の息子のように思っているそうだ。
入るとすぐ土間兼キッチン、そして4畳半くらいの部屋にソファと、不似合いなくらいの立派なカップボード。
今夜はよくある停電だそうで、ろうそくの明かりでインジェラをいただいた。
インジェラとは、テフという穀物と、水、それに自家製のイースト菌を混ぜて3日ほど発酵させたあと、オーブンで焼いた、クレープのような主食だ。
味は、ほんのり酸っぱい。
世界一マズイ!という人もいるが、そう思えば世界一マズイ。
しかし、味わわなければウマイ。
お盆に広げたインジェラの上に、スパイスの効いたカレーのようなペーストをたらし、右手でインジェラをちぎり、ペーストを掬って食べる。
インジェラとペースト、どちらも余らせないように食べられるようになれば、立派な現地人だ。
お母さんの作るインジェラは、もちもち感があって、ペーストもマイルドでうまかった・・・。
食事が終わり、アフターコーヒー。
エチオピアはコーヒーが名産だ。
各家庭では、コーヒー豆を炒るところから始める。炒って、壷にいれた豆を木の棒でたたいてつぶし、粉にしてお湯に溶かす。とても手間が掛かるので、お店ではみんな、インスタントコーヒーをだす。

ヨゼフのお母さんは、道路に面した軒先でコーヒーをつくっていた。
お香をたきながら。
とても濃く、うまい。砂糖はあらかじめたっぷり入っている。
コーヒーを2杯もいただき、そのあと、エチオピアの焼酎を飲むか?というので、もちろんいただいた。
43度もある。フルーティな香り。飲むと喉がカァーっと熱くなる。
「エチオピアの音楽を見るかい?」とヨゼフがDVDをセットし、見始めた矢先、Kさんが真顔でつぶやいた。
「コンロの火、消し忘れた。」
うそー!Kさんは、あんこ好きで、今朝から小豆を水につけふやかし、火にかけ、なんども灰汁取りをしていた。
「手が込んでますねぇー」
「パンにつけて食べても美味いんですよ」
楽しみにしていたのだが。
火事になっているかもしれない。
灯油が入っている分しか燃えないので火事にはなってないと思うけど・・・。
ワレワレ一行はヨゼフのお母さんに「浜崎なの!」とお礼を言って、帰り道を急いだ。
もう暗いのでなので、馬車はなく、歩きだ。(馬にヘッドライトは無い)
車が通った後には土煙が立ち込める泥の道沿いには、裸電球をそなえた粗末な店が点在している。
60年前は日本もこんなだったんだろうな。空き地で盆踊りをしていてもおかしくない雰囲気だ。
家のドアを空けると・・・真っ白!
煙だ!
火事にはなっていなかったが、小豆は真っ黒、お鍋も真っ黒。
家中、真っ白。
「よかったね!家事にならなくて!ツイてるよ。」と励ます。
あーあ、と小豆の鍋を見ながらさびしそうなKさん。「あいやー」と窓を開けて換気するSさん。
家の中に入るとむせるので、私はしばらく外に出ていよう。
街灯が多くなったのであまり星が見えなくなった、という夜空を見上げる。
近所から聞こえるエチオピア音楽。
私には何のゆかりもない「アワサ」という小さな町。
ここでひとり住むKさんの毎日。
私が来なくても、過ぎていくKさんの日々。
ここで一人住むKさんの生活を、何のご縁か、垣間見られることに、とても幸せを感じる。
家の中からはまた、Sさんの「あいやー」と言う声が聞こえた。

▲ by kumaf3 | 2006-09-26 22:09 | アフリカ編