カテゴリ:アフリカ編( 22 )

 

アフリカ残話


アフリカ人の挨拶の言葉は「ジャンボ!」。こんにちは、と言う意味だ。

いろいろな場所で、人と出会ったら、この挨拶をした。

そして、感謝の言葉は「アサンテ」。

さて、タンザニアから、ケニアに帰るとき。もう「ジャンボ」も「アサンテ」もかなり使ってきた頃。
乗り合いタクシーに乗り込み、いざ出発。
そのとき。

段ボール箱を浅く切っていろんな商品を詰め込み「おせんに、キャラメル」状態で物売りがクッキーを売りにきた。
40円だ、というので、30円に値切って、買うことに。

ちょうどのお金がなかったので、おつりが必要だった。

「はい、これお金。でも、おつりちょうだいね。」

「わかった」

物売りの少年は、消えていった。わたしは車の中でぎゅう詰めなので、追いかけられない。

あああああーーーー!ちょっとーーー!!

同時に車も動き始めた。

あああああーーーまってーーーおつりがーーー!(といっても20円ほどだけど)

同乗しているアフリカ人たちは、運転手に「おつりがまだだ」と運転手を止めてくれた。

「大丈夫だよ、彼はおつり持ってくるから。」

1分ほど待った。

すると、さっきの物売りの少年が、走って帰ってきた!

一生懸命でしんどそうな顔、でも、「おつりだよ」の笑顔。

疑ってごめんなさい!

わたしは大きな声で感謝の言葉を言わなくちゃ!と・・・出た言葉は。。。

「ジャンボ!!(こんにちは)」
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by kumaf3 | 2006-10-26 15:58 | アフリカ編  

再びケニアのナイロビです

キリマンジャロふもとの町、モシから、バスや乗り合いタクシーを乗りついで、最安値でケニアに戻ってきました(およそ10ドル)。

思えばアフリカでの毎日は、震度4から7の地震体験カーに、一日8時間ほど休憩なし(トイレも我慢)で乗って、夜は危険回避のため外出できないので、宿でおとなしく寝る、という地震実験のような日々でした。

おかげで、30分も車に座ると、お尻と足の付け根がいたいいたい。。床ずれのようなものかしら?

協力隊の人もいっていたのですが「アフリカは観光地とかないよ」。

「すんでるひと(自分たち)が無理やりどこか、出かける場所を作って「ここはいい」とか言ってるけど、たいしたもんないよ。」

まったく同感です。

特にすばらしい建物や遺跡などはないです。(いってないところもあるから、違うかもしれない)

でも、とにかく「日本とはぜんぜん違う」ことが、一番のアフリカの魅力です。

わたしは拒否反応でしたけど・・・(笑)。


ここケニアのナイロビでは、日本人の多い宿「ニューケニヤロッジ」に泊まっています。

きのうも、自転車で1年半世界一周中の男性に会いました。
彼は防犯のために、1mほどもあるナタを自転車に積んでいます。
「300円ほどで買った。テント泊のとき、木を切って燃料を作ったりするのに使うよ」とのこと。

これがあるおかげで、あまり犯罪には巻き込まれないそうです。

彼はアメリカ大陸の南からアラスカまでは走破しているので、ロスの安宿を聞いてみると、「日本人宿がある」とのこと。早速検索して、リトル東京の「大丸ホテル」「中国屋ホテル」があることがわかりました。大体30ドルくらい。

ありがたいなー。でも、空港からリトル東京までの行き方はわかりません(笑)。

こっちでは平均5ドルで泊まれていたので、財政難が続きそうですが、節約生活で乗り切りたいと思います。

さて、世界でもトップクラスの治安の悪さを誇る「ナイロビのダウンタウン」。

私のいるところもまさにそのど真ん中ですが、20日前に泊まったときとは様子が違っています。

露天の商売人がまったくいない!!


そうです、政府から撤去命令が出たそうで、黒人たちはやむなく撤去したようです。

以前もこういう撤去があって、黒人たちは暴動を起こしたそうで、きのう到着した私はすこし警戒していたのですが。。。

お店は4時ころにシャッターを下ろし、機動隊を載せたトラックがホテルの前に。

銃声が数発きこえましたが、大きな騒ぎはなかったようです。ほっ。

そんな物騒なナイロビとも今日でお別れ。

すこし遠くにあるショッピングセンター「ナクマット ライフスタイル」で、コンタクトレンズの保存液を入手!エジプト航空、エチオピア航空のオフィスにもいき、リコンファーム完了。


なんとなく、ナイロビ市内も一人で歩けるようになりました。
いま、最後のネットチェックです。

そう、これから、民族大移動。

ナイロビーアジスアベバ(エチオピア)-カイロ(エジプト)-フランクフルト(キャンセル待ち)ーロスアンゼルス という、3大陸移動です。

3-4日で移動できれば上出来。

ロスに入った後は、仕事でアリゾナ入りする友人のA部ちゃん(名前ばれてるがな)に会い、便乗してホテルに泊めてもらいます(A部ちゃん、よろしくおねがいしまああす!)

また、ネットがつなげるのはどこの国かはわかりませんが、安否確認宜しくお願いしますね!

くま@そうそう、いつのまにか渡航国数も「70」になっていました。これもひとえに、私の人徳のおかげ。ありがとうございます。

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ナイロビはジャカランダが花盛りです。
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by kumaf3 | 2006-10-21 18:43 | アフリカ編  

タンザニア  アルーシャーモシ

雨だ。

「10月は小雨季で、雲が多いから、キリマンジャロ(アフリカ最高峰)は、見られないかも」

と、先日協力隊の方に聞いていたのだが、午後から晴れてきて、少し雪をかぶった(氷河?)、キリマンジャロが顔をのぞかせた。ちらっと。

晴れ女でよかった。

朝、アルーシャの騒々しい町を出て、モシまでおよそ2時間かかった。

昨日来ていたら、真っ暗になっていただろう。


モシのホテルは少し高め。

Nさんに教えてもらっていたダコスタホテルにした。

ゆっくりしたいので、退屈しないテレビつきの部屋がよかったのだが、それは4倍の値段するので、あきらめることに(涙)。

そのかわり、贅沢してプリングルス(ポテトチップス)かうぞ(みみっちい)。ネットやにも入り浸ってやるー。

部屋は「きょうはダブルの部屋しか空いてない」そうで、ダブル料金を取られた。900円。でもなんだかテラスもあって素敵なので許す。

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屋上にはレストランがある。

街中では何を食べていいのかわからなかった(歩いてみたが)ので、屋上レストランでベジカレー、ウガリつき、と注文。

出てきたウガリがでかいでかい@@!

半分残してしまいました。大人の手のひらくらいあるんです。。。

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しかし、わたしは、何もせずにのんびり。。。という過ごし方ができない性格なので、この町もゆったり堪能しようとしましたが、もう、まちをまわってしまったので、あと2日、どうしよう・・・。


そうそう、アメリカ在住のAちゃんが、数日後に行くアメリカーメキシコの移動のアドバイスをしてくれています。彼女も仕事でちょうどアリゾナに来るそうなので、会えるかも。

楽しみです。Aちゃん、右も左もわからない(上と下だけはわかる)私にいろいろ教えてくれて、ありがとう!

ひきつづき、LAのリトルトーキョーでの安宿、募集中です(あるのか)。



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アフリカの訪問国状況
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by kumaf3 | 2006-10-17 17:26 | アフリカ編  

タンザニア  シンギダーアルーシャ

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(シンギダのバスのチケットやさん。)


電気は夜しかつかない。

道は舗装していない。

ヨーグルトもない。

ゴミは窓からポイ捨て。


なのに・・・みんなケータイを持っている!


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(バスターミナル)
シンギダから、アルーシャまでのバスは5時間で着く。8時半に出たので、1:30には着くな、そんなら、最終目的地の「モシ」まで、バスを乗り換えていってみようか。

なあんて、考えていたのに。

2時になっても、3時になっても、4時になっても、着かない。

隣の席のお姉さんは、コーラ(びん)を買い、歯でふたをこじ開けた。

プッシュー!!

・・・すげえ@@。


そんなお姉さんにも、どきどき、携帯に電話がかかってくる。

若者からお年寄りまで、みんな携帯電話を愛用している。

コンビニはないのに、携帯ショップは星の数ほどもある。どんな田舎にも。


でも、ゴミはその辺にポイ捨てが当たり前。なんだか違和感を覚える・・・。

さて、やっと、バスは5時過ぎにアルーシャに着いた。

バスを降りようとすると、「もし!」「もし!」とよばれた。こんなところに知り合いか?

わたしも日本では引きこもりだが、海外では顔が広いようだ。


「ええっと、どなたでしたっけ?」と黒人さんに答えると、どうも、「モシ行きのバスに乗らないか」というただの呼び込みだった。

同時に、アルーシャでの宿「メルーハウス・イン(シングル6000シリング=500円)」の呼び込みサンもいたので、そっちについていくことにした。
これからモシに行って、暗くなったら怖いので。


宿に着くと、「7000シリングのツインの部屋しか空いてない」。

うそー。

しょうがなく、10000シリング渡す。

おつりが4000シリング帰ってきた。

これではシングル料金ではないか。


差額の1000シリングは、財団法人「恵まれない日本人旅行者の夕食代の足し」に、全額寄付させていただきました。




宿の下にあるレストランでヴェジタブルピラフ(200円)を注文。

なんてことはないピラフだったが、お米がとてもおいしかった。

うれしくて、元気が出た。
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by kumaf3 | 2006-10-16 16:56 | アフリカ編  

タンザニア ムワンザにまったり

「さぁ、明日は 5時にバスターミナルへ、いざ、アルーシャへ24時間バスの旅!」

と思っていたものの。

昨日の晩、街のネットやでであった協力隊員Nさんの仲間たちの夕食にご一緒させていただいた際、「その路線は、途中セレンゲティやンゴロンゴロ国立公園をとおるから、入場料金を日本人だけ取られるんですよ、トータル80ドルほど。」とのびっくり経験談。

「それより、南の町を経由して、途中の街で一泊になるけど、半額くらいの便で行けば?」
とのアドバイス。

もうチケットは取っていたのだが、それを捨てて、明日の朝、5時にバスターミナルへ行き、その路線のバスを探すことにした。

Nさんが付き合ってくれるそうだ。ありがたいことこの上なし。


久しぶりに会ったという協力隊仲間は、Nさんのコンピュータをはじめ理数科教師、農業土木、薬剤師、溶接などさまざまな分野で活躍している。

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各方面を通じて現地人と触れ合った経験からくる「タンザニア人論」が興味深い。

「タンザニア人は、音楽やダンス、文科系には強いけど、理数系にはめっぽう弱い。薬剤の処方に、一人1トン、とか・・・どうやって家まで持って帰るっつーの。大学生なのに分数の計算ができない・・・。」などなど。

「でもタンザニア人でも、日本で育てれば、日本人と同じように数字に強くなれるんじゃないかな。日本人も、タンザニアで育てば、ダンスのセンスや音楽の才能が出てくると思うよ」

「いやでも、男と女が得意分野がちがうように、タンザニア人と日本人はやっぱり持ってるものが違うと思うよ」

数年間、暮らしてみて「アフリカって、だめだこりゃ」と思うことが多いらしい。

アフリカ人は、裕福な外国人から物をもらうのはあたりまえと思っているので、「○○さんからは何をもらった。君からはこれがほしい。旅行に行くの?そこは△△が安いのよね。」など。

これは私も感じていたことで、欲しいと思っていても、口に出すのは無礼と、私たちは思うが、アフリカ人はそうではないようだ。

私もバスに乗っていて、停車中水売りがうろうろ。私は自分のペットボトルの水を飲んでいると、前に座っているアフリカ人が「君の水が欲しい」と言ってきたときには、おもわず「NO・・・」と言ってしまった。買えよな…。


「アフリカが貧しいのも、外国がもっと援助してくれないからだ。」というらしい。

うーん、だめだこりゃ。

でも協力隊員の皆さんは口をそろえて、タンザニアに来て本当によかった。なぜなら「人がいい」から、とのこと。

アフリカ人大嫌い!だったわたしも、みなさんの話を聞いて、少しアフリカへの見方がかわり、旅が楽になった。



ビクトリア湖畔のすばらしい「テラピアホテル」のレストランのおいしい食事と、皆さんのアフリカ話に大満足の一夜だった。

ちなみに初めて食べた「テラピア」はビクトリア湖の魚。


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「テラピアとピラニアは違うんでしょうか。」と言う私の愚問に

「テラピアは草食、ピラニアは肉食です。」とのこと。勉強になりました。


Nさんの紹介してくれた「夜は電気が通う」テレビ付き宿はいごこちはいいし、せっかく皆さんと知り合えたんだし・・・と、今朝出発予定だったんだけど、

もう一泊していくことにしちゃいました。

んで、一夜あけた今日。


朝食時からNさんにいろいろ話を聞かせていただきました。

「協力隊は、自分で工夫してプログラムを作れる人にはいいけど、与えられた仕事をすることになれた人にはしんどいと思う」

「そうかー。旅もそうだと思います。毎日が選択の連続だから、自分で切り開いていける人はいいけど、そうでない人はしんどい・・・私もしんどいほうに属するかも。」

「でも、やっぱり協力隊なんかで同じ所にいる場合でも、各地を回るのでも、海外に出ている人とそうでない人は、やっぱり考え方の広さが違うと思うよ」

「それは感じます。会社通いをしているときの、100倍しんどいですもん、旅って。でも感じることも、得るものもその分多いですよね。」

Nさんは、帰国してとりあえずやりたいのは、「自転車で日本縦断」だそうだ。

であった人を大事にするNさん。そんなところも見習う点が多い。

Nさん、いろいろ勉強になりました。出会えてよかったです。


彼は午後から、わたしの明日のチケットとりに大いに活躍してくれ、うじゃうじゃ寄ってくる客引きを「鵜庄」のようにあやつり、最安値でGETしてくれた。


彼に出会えたおかげで、これから1週間を残すのみとなったアフリカの旅、少し違ったものになりそうです。

さて、あしたこそ、早朝バスで出発です!

2日掛けて、キリマンジャロふもとの町「モシ」に行きます。

追伸;コンタクトレンズ保存液、タンザニアでは買えません・・・。みんな目がよすぎるから。そして、ホワイトニング化粧品も、みつかりません・・・当然か。


追伸2:このあと、回路 フランクフルト経由で、アメリカのLAに飛びます。安宿教えてください!!どなたか。。。
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by kumaf3 | 2006-10-14 23:49 | アフリカ編  

タンザニアへ

朝の暗いときに出発する。

きょうも朝の準備は懐中電灯だ。電気はない。

ブルンジの首都、ブジンブラの朝を、バイクタクシーで走る。

バスターミナルはマーケットの近く。7時を過ぎると、にぎやかになってくる。

7時半に、昨日のルワンダ人と合流することになっている。彼がやってきた。

おはよう。

バスに乗り込む。

出発まで時間があった。

なんだか彼は私の半そでから出ているウデを触りまくる。

「さわらないで」

というと、

「どうして?」

どうしてって、

「ふつう、多くの女性はあんまり触られるのが好きじゃないのよ」

「僕は君を愛してるのに。君は僕を愛してないのか?」

ハァ?愛するも何も・・・。

「触ると気持ちいいよ、君の肌が好きなんだ。君は気持ちよくないのかい?」

「気持ちよくないよ!」

なんだかなぁ。長袖を着ようっと。


「君の宗教は何?」

「仏教だけど、日本人はそんなに宗教に熱心じゃないよ。」

「どうして?」

「どうしてって。。。神様に祈ってて、生活は豊かになった?ならないでしょ?日本人は祈る暇があると、働くし、いろいろ考えるのよ。生活をよくするために。」

「君はどこから生まれてきたんだい?神様じゃないのか?」

「私は両親からよ。」


「僕はキャンデーがほしい。」

彼は私がのどの痛みのために買ったキャンデーをほしがった。

うむぅー。
なんだか、きょうはイライラしているのかもしれない。アフリカも好きでないし・・・。

「これから行くタンザニアには日本人がいっぱいいるよ。泥棒も多いから気をつけて。メールするよ」と彼は彼の目的地で降りていった。

昼過ぎに私の目的地、国境の「kobero」へ。

タクシーで国境まで行こうとするが、みんな高値で吹っかけてくる。

そこへ、英語のできるブルンジ人が現れ、助けてくれた。ありがとう。


ブルンジ出国のためのイミグレーションオフィスは、石段を上った先にあった。気づかないだろ、そんなところ。軍人さんが追いかけてくれないと、密出国するところだった。

ここからタンザニアまでは、バイクタクシーでさえ15分かかると言う。

そうばでは2000シリング(2ドル弱)だが、みんな5ドル5ドルと吹っかけてくるので、いらないよ、のそぶりで、無視していると、誰もおっかけてこない!

誰か乗せてくれよー!!

自転車が一台とまり、荷物を1ドルで乗せてくれると言う。

ありがとう。

この自転車と一緒に、えんえんとのぼりの坂道を1時間、歩いて入国した。しんどひ・・。

しかし、この自転車のおじさんは、歩くのが早い!私の荷物を載せているのに、私より歩くのが早い。

先日お世話になったエチオピアのアワサにすむKさんも早かったが・・。

世界は広いなー!!と思わず声に出てしまった。

わたしより歩くのが早い人は松山にはいない。


さて、タンザニアの入国の際。

「君の名前は本当にこれかね。言ってみてくれないか。」

またこれか。そう、私の名前は、スワヒリ語では放送禁止用語なのだ。

何度でも言いますよ!

熊本! くまもと
クマモトぉ!!


「わかったわかった、もういい!一ヶ月の入国を許可しよう。」

自転車で荷物を運んでくれたお兄ちゃんに代金の2倍のドルを払うと、ゴネて(まただよ)いたが、一歩も譲らない。

かれは集まってきた子供がほしがった、私の空のペットボトルも、子供から奪った。

モノがないんだなぁ。彼のシャツも白かっただろうに、茶色だ。

さて、この町から、タンザニアの湖畔の町へは明日の朝5時発があると聞いている。

切符売り場へ行ってみると。。。

「明日はダイレクトでムワンザへ行く便はないよ。途中のカバラで乗り換えだ。」

「えー、それは何時発?」


「11時だ。そして、4時間バスに乗って、12時のお昼のバスに乗れば、ムワンザまで5時間だ。」


「はぁ?11時から、4時間たつと、14時でしょ?お昼のバスには乗れないから、その途中の町で一泊なのね?」

「ちがう。お昼の便に乗れる。」

「のれないわよ!11時に出て、4時間でしょ?途中の町には午後の2時に着くんでしょ!」

「乗れる。」

もーなんだかよくわからない。

「乗れるんだったら乗るわ!ムワンザにつくのは夜になるんでしょ。まあいいわ。」

「出発は朝5時だ。」

はぁ?さっきは11時って言わなかった?

何でもいいから、切符をちょうだい。

切符にはやっぱり11時って書いてある。わからん・・・。

まてよ。
スワヒリ時間ってのがあったなー。

朝の6時が0時だから・・・5時は11時か!!!

「この11時って切符に書いてあるのは、あさの5時ってこと?」

「そうだ」


切符を買うのにも1時間かかった。

駅前の3ドルの宿は、夜間だけ、発電機で発電している。しかし時々、停電する。

明日の朝は5時発のバス。また懐中電灯で荷造りだ。
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by kumaf3 | 2006-10-11 23:27 | アフリカ編  

コロでコンゴへ

どの旅人にも言われることがある。

「え? コロでコンゴ?聞いたことなーい!!」


そう、私はいわゆるバックパックを背負っていない。
小さなタイヤのついた、空港などでステュワーデスさんが引っ張っている、あの黒いのである。

つまり、大人のパッカーなのだ。

ここだけの話、肩こりがひどいのよね。首もね。いててて。

ええ、おばさんです。


コロ付きスーツケースでで、悪路のコンゴに行く人なんて、ほかにいないようだ。

「コロでコンゴへ来た、初めての日本人=熊本フミさん として、コンゴの歴史に深く刻まれるであろう。

さて、これから入国するコンゴ。ガイドブックも持ってないし、宿の情報もない。
ビザも持ってない。

7時半に起きたが、やる気が起きず・・・。

しかし、ベッドの上でストレッチをすると、「今日も何があるかワクワクだ!」と思い直せた。

それが単なる錯覚であるとも知らず・・・。


ウガンダ出国はすんなり。宿から歩いて2分。

そこから少し坂をあがると、100mほどでコンゴに入境だ。

コロをリュックにして背負い(優秀なコロバックなのだ)、コンゴに入っていくと、
おばさんが私のほうによってきた。

「予防接種はしてあるの?イエローカードを見せて。」

はいはい、黄熱病ですね、してありますよ!

おばさんは私のイエローカードを持って、狭く暗い部屋に入った。

「こっちに来なさい」

カーテンで仕切られたおばさんの部屋で、おばさんはまじまじと私のイエローカードを見る。

「黄熱病以外はしてないの?」

してないですけど。

「コンゴに入るには、黄熱病以外にも、コレラと○○がいるのよ。」

は?そうですか・・・。

「どうしましょう。」

「・・・10ドルでいいわ。」

バクシーシかよ・・・。値切ってみよう。

「5ドルでどうでしょう。」


「だめよ。10ドル。」

仕方なく10ドル払うと、おばさんはご機嫌になり、「入国はこちらよ」と案内してくれた。


男の係官が「こちらに入りなさい」

「ええっと、ビザは・・・?」

「ここで取れると聞いたんですが。」


「ここでは取れない。町のイミグレーションオフィスに行って、取るんだ。」

「え?たった2日、トランジット(通過)するだけですよ」

「だめだ。私と一緒に町のオフィスに行って、ビザを取るんだ。
ほしかったらタクシー代を1ドル出しなさい。」

はぁ・・・。またお金か。

ま、1ドルくらいなら。

ゴリライモに似た係官は私のパスポートを含め10冊ほどもって、タクシーに乗った。

「町のオフィスに行ってから、ホテルに行くんだったら3ドルだよ、タクシー代。」

はぁ、まぁそんなものかな。


「君は結婚しているのかね。問題ない。君がもし私を受け入れてくれるなら、
僕は日本に行くよ。」

いや、来なくていいです。



オフィスに行くと、みんな結構待たされていた。ボスが外出しているので、
決済などが降りないようだ。

私はパスポートを預けたまま、1時間待ち。タクシーにも待ってもらっていたので、
帰ってもらった。

「5ドルくれ。」

あげないよ!

私は胸の上部が痛く、咳も出て、体がしんどかった。

それでも日本人が珍しいらしく「日本人か、結婚しているのか。」この質問ばかりだ。

かなり疲れて、体のだるさもあって、何ドルもとられて、くやしくて涙が出てきた。

もう3時間がたった。

これからこの国で、宿探し、バス探し・・・。先が思いやられる。


「フミ、問題ないわよ。泣かないで。」

やさしくしてくれるのは受付のジャイ子、いや、ディアだ。

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「バナナは好き?一緒に買いにいこう」

コンゴのバナナは、パサパサだけど、甘かった。昨日の晩御飯も食べてなかったしな。

その後、昼前にイミグレディレクター(えらい人が帰ってきて)、部屋に通された。


コンコン。はいりますー。

えらそうな机に、茶色いスーツを来たボスゴリラがいた。ゴリライモよりは小柄だ。


「君の問題は、ビザを取ってないことだ。」

「はぁ。でも30ドルでトランジットビザがもらえるって聞きました。30ドルはもう払いました」

「あの30ドルは、国境から、ここまでくるための代金だ。君がここから先、
入国するには123ドル(1万3千円強)払って、ビザを取らなければならない!」

ひゃ、ひゃく23ドル?

こんな高いビザ代、聞いたことない・・・。

とても払えない。

どうしてもだめですか。だめですよね。悔しいけど。


「じゃ、ルワンダへ帰ります。」またルワンダ入国で60ドル取られるけど、コンゴよりはマシだ。

荷物をもって、ボスゴリラの部屋を出ようとした瞬間。


「まぁ、まちなさい」

え?

「すわりなさい。」

はぁ。

「写真は2枚持ってるか。」

ありますけど。もしかして、ビザくれるんですか?

「ありがとうございます!」


いい人やん!ボスゴリラ!

「町を案内してほしかったら、ここに電話しなさい。私の番号だ。君は電話を持っているかい?」

ないですけど。

「え?どうして電話を持ってないんだ。」

どうしてって言われても・・・。

「案内するのは何時頃がいい?」

「いつでもいいですけど。私は電話を持ってないんで、宿に連絡してください。」

宿の名前は、入国資料に書かないといけないため、
ディアに聞いたプロテスタント教会にしておいた。

係官が私の写真で通過ビザを作ってくれて、やっと4時間後、無罪放免となった。

「宿には私が一緒に行ってあげよう。両替も要るんだな?」

今度は竹中直人に似た、ネクタイの係官だ。

一緒にタクシーに乗り、国境近くにあるプロテスタント教会(昨日の教会とは違います)に行った。


竹中直人が教会の人に話してくれた。

「宿は、ないって。」

ええ?・・・・やっぱり、うまくはいかないもんだ。

教会のえらいさんは「宿だったら紹介してあげるよ。予算はいくらだい?20ドル、15ドル?」

5ドルでお願いします。

おじさんはぶっ飛び、しばらく考えたあと、しょうがないな、と教会内の部屋を貸してくれることになった。

あるんやん。シャワーもトイレも水が出ないけど。おまけに夜の短い時間しか電気が来ない。

それでも、マットレスを2重にしてくれ、シーツを敷き、石鹸とトイレットペーパーをくれた。

ありがたい・・・。


ずっと付き合ってくれた竹中直人は、さらに、「バス乗り場やマーケットに行くか?」と言い、またタクシーを拾った。

幹線道路以外は舗装がない。


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バスターミナルも土だ。ロータリーになっている一角に、私が明日乗るはずの
「ブルンジ国境=ウビラ」行きがあった。ミニバンだ。

「このバスは朝から客を待っている。20人集まらないと、
昼になっても夜になっても出発しないんだ。」

ひえー。

「夜、出発しないと?」

「翌朝だ。」

ひえー。


明日はお客さんが集まるかなぁ。

「明日は火曜日だから、マーケットが終わって、人は帰る。あつまるだろう。」

そう期待したいもんだ。


マーケット(市場)にも行ってみた。

人、人、人。パンツ、パンツ、パンツ。ごみ、ドブ、靴。バナナ、バナナ、ぬいぐるみ、土ぼこり、土ぼこり。。

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こんなひどい、いや、すごいマーケットは初めてだ。
圧倒された。

50歳くらいのやせた女性が、50キロはあろうかというポリ入りのビールを頭から回したひもで背中に背負い、運んでいる。すごい力だ。

子供もみんな、働いている。

私は今夜の食料、バナナとパイナップル、アボカドを買って、宿に帰った。

「イヤー今日は竹中さん、あなたがいなかったら私は何もできませんでした、ありがとう。」

彼と少し話した。

コンゴは貧乏な国なので、彼はコンピュータの学校を出ているが、使うコンピューターがない。

イミグレオフィスでも、いまだにワープロをたたいていた。

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彼の夢を聞いてみた。

「そうだなー。アフリカ以外の国に住みたい。アフリカは貧乏だ。ヨーロッパがいいかな。白人と結婚して。」

ふうん。私は豊かな(先人の努力で)日本に生まれて幸運なんだなー。

竹中直人は「明日のあさ、君のバスを見に行くよ」といって、帰っていった。

「ありがとう!」

「いや、これが俺の仕事だからね。」

んー、かっこいい。

帰り際に「タクシー代2ドルちょうだい!」といわなければ、ね。


さてと、今日は入国からホント疲れた。もうすぐ暗くなるな。

シャワーはないので、体拭きでフキフキして、メイク落としシートで日焼け止めを落として、アボカドとバナナとパイナップルの夕食を終えて、バターンと横になったとたん。


「コンコン、誰か男の人が来てますよ。」

げ!ヤナ予感・・・。ボスゴリラだ!


面倒くさい。でも、いかないと「入国取り消し」なんてことになるかも・・・。

会って断って来よう。


「あ、ボスゴリラさん!昼間はどうもー!」

「これから食事に行くかい?」

「いや、きょうはヅツウがして。。。しんどいんです。」

「少しだけでも。1時間ほど。」

しょ、しょうがないなー。じゃ、準備してきます・・・(う。めんどうくさい。)

準備といっても、ビーサンをスニーカーに替えただけだ。


ボスゴリラの車に乗る。「日○パジェロ」こんな貧しい国でこんな車に乗るなんて。

コンゴの首都キンシャサから、ここブカブに赴任してきて2ヶ月、42歳。高級ホテル暮らしである。

彼はほとんどしゃべらず、ひたすら舗装のない道を走る。湖のほうに下っていく。

「こんなとこにレストランあるんですか?」

「ドント ビー アフレイド(こわがるな)」

そういうと、ますます・・・びくびく。

ちょっと警戒。

「うちの父はポリスマンで、夜は外に出ちゃいけないといわれているんです。」

なんて言ってみたりして。

キキーッ。車は「オーキッド・クラブ」とかいう、ホテルレストランのようなところに止まった。


通されたテーブルは、昼間の市場の貧しさとは別世界。


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ボスゴリラは肉とポテト、私は魚のマッシュルーム煮をいただいた。

食事中、気を使っていろいろ話し掛けてみた。

10月末に大統領選挙があること、まだ東部では内戦があること、どうしてイミグレの仕事を選んだのか、など。


「私は君にあえてうれしいんだ、ここブカブにもう一日いなさい。」

いやー、そんな気はさらさらないのでお金が・・・とか、日程が・・・とかエクスキューズを並べる。

彼の2本の携帯にはひっきりなしに電話がかかってくる。

しょっぱい味付けの食事を一生懸命食べ終え、レストランを出た。


真っ暗な、ガタガタ道をはしるボスゴリラの4WD。

「どうするかね、さきに私のホテルを見るかね、それとも君のホテル?」


は?何で私があなたのホテルを見るんでしょう?


「いやー、早く帰って、父に手紙をかかないと。毎日手紙を書かないと怒るんです。彼は厳しくて。」

入国がパーになってはいけないので、気を使いながら断るのも大変!

しっかし、コンゴって国は・・・こんな人をイミグレの責任者にするんだから、推して測るべし。


「私は入国管理の最高責任者だ。ビザ代は私が払おう。君はもう一日、この町にいなさい。宿代の5ドルも私が払う。」

いやです。シャワーのない宿にもう一泊なんて、お金もらっても、ちょっと。

「私の父は、政府の警察官で、とても厳しいんです。早く帰らないと。」

およそ10分後、なんとか、私のホテルの前に着いたようだ。よがったー!!

「ここにもう一日だけ、いなさい!」

おいおい、入国の時とえらい違いだよなー。

「あした。出て行きます。ありがとうございました!ナイストゥーミーチュー!グナイ!」



はぁー。コンゴの長くてつらい一日が、終わった。


車はちゃんと私のホテルに帰っているかも判らなかったが、
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by kumaf3 | 2006-10-11 22:21 | アフリカ編  

鼻毛ボーボーでなかった自分を悔やんだのは初めてだ。

教会のホテルをでたのは明け方だった。

懐中電灯で荷造りをするのも慣れてきた。

20人集まらないと発車しないというミニバンまで、調子よくタクシーを乗りついでやってきた。

「ニャウェラ(市場)まで」「マジョルバンゴ(バスターミナル)まで」。

7時前。


今日のウビラいきは、軍隊サンも3人ほど乗るらしく、人数は8時半には集まった。

あさ、挨拶だけしたおじさんが出発前、私のところにやってきて

「ビールを飲ませてくれないか(金をくれ)」

「ん?なんで?」

「僕がおまえの席を取ってやったから。」

なんでやねん!わたしは6時半に来て、自分で取りました!!

「ノー」というと、

「ユーアーフール(おまえは馬鹿だ)」を繰り返して、どっかいった。

どっちが馬鹿じゃ。


さて、うわさどおり、ガタガタの山道をどんどん進んでいくミニバン。

土ぼこりで、服も顔もまっ茶色。

途中でティッシュで鼻掃除をすると、ちゃいろーい!!

あー、細かい粒子は肺の肺胞もとおって、どんどん体の中に入って悪影響を及ぼすのよね。


鼻毛がボーボーだったらどんなによかったか・・・!!

こんなことを後悔したのは生まれて初めてだ。



さて、途中で止まった町でよってきた軍人さん。パスポートを見せろ?かな。

と思ったら。

「1ドルちょうだい。」

なんでやねん。

「ノー」

結構素直に去っていった。

途中の休憩でビールをがぶ飲みした運転手さんは、不必要にクラクションを鳴らしながら、やっと舗装になった道路をがんがんに飛ばして、ウビラの町まで着いた。


さて、今朝、竹中直人がバス乗り場に来て「運転手さんと車掌さんに、君がブルンジに行きたいことを言っておいたから、安心して」と見送りのときに言ってくれていた。

運転手さんは、私だけを乗せ、乗ってきたミニバンで国境まで行こうとする。
ありがとう!

「10ドルだよ。」

は?ここまで6時間で5ドルなのに、なんで10ドルや!!

「自分で行きます。」

と車を降り、バイクタクシーを拾って、国境までのガタガタ道をいく。スリップしやしないかとひやひや。

あらかじめ約束しておいたバイクタクシーの相場の料金を払おうとすると、足りない!とゴネる。

もう、いちいちこれがめんどくさい。余計なお金は払わないよ。


コンゴ出国オフィスにて。結構すんなり出国。

しかし検疫と思われる小屋で待ち受けるおばさん2人。

「なにか?」

彼女は、机の前に、安っぽいビニール袋に入った水を置き、何か言っている。英語のできる人に訳してもらった。

「彼女は、目の前の水を飲みたいといっている。あなたに買ってほしいらしい。」

ハァ?わけがわからない。

目の前のナイロン袋の水、自分で勝手に飲んでくれよ!!!

「ノー!」といって出る。


炎天下。

ブルンジ入国イミグレまでは田園風景の中を1km歩く。コロでガタガタ道を歩きたくはないのだが、みんな代金を吹っかけてくるのでなんにも乗りたくはない。

子供たちが「チナチナ、シノワ!」と集まってくる。

まるでいじめられっこの気分だ。

くやしいので「バーカ!」といってやる。(すみません、どんどん言葉遣いが荒れてきます)


ブルンジ入国はすんなり。20ドルで通過ビザをくれた。

町までは10キロ。乗合ミニバン。

町に着くと、明日のバス切符を買わないといけない。

広場内のオフィスを探そうとすると、こっちだよ、と連れて行ってくれる。

すみませーん。

え?タクシーにのれ?なんで広場内の切符売り場までタクシーで行かなきゃならんの。

もういい!

と、男の人が現れ、私も明日そっちに行くから、案内するよ、と切符売り場まで来てくれ、本当に切符を買っていた。


私の両替まで付き合ってくれ、切符を買うことができた。

彼はなんと、ルワンダ大虐殺で両親と兄弟を失ったという、ルワンダ人で4日間だけ旅行に来ているそうだ。

私が夕食に行くというと、「ついて行っていいかい?」いいですけど。

なぜか会計の時には彼のジュース代まで払わされていた。


その夜は町から1キロ離れたホテルへ。ここはホントにホテルがあるのか?と思うほどの素朴な地区で、道路でみんな煮炊きをしている。

あるいていると、大騒ぎになった。

「チノチノ、シノワシノワ、ニイハオ!」

子供たちに囲まれる。あー、もういやだ。

ちょっと年長の男の子が私の荷物を持ってホテルまで運んでくれた。チップを渡すと「足りない」とごねる。これ以上は払えないよ。

今夜のホテルも、停電だ。
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by kumaf3 | 2006-10-10 22:56 | アフリカ編  

時差ぼけ

翌朝は7時前に起床。

8時15分に「キブイエ(ルワンダ内)」いきのバスがある。

バイクタクシーに乗り、バス乗り場へ。昨日着いたバス乗り場かな?と思っていたら、ほんの300メートルほどのところにあった。

早速キブイエ行きの切符を購入。1300現地通貨。

待ち時間が少しあるので外で待っていると、ここから、国境近くの「チャンググ」直行便がある、と壁にペンキで書いてある。

あしたは、キブイエから、チャンググに行く予定なのだ。

へぇー、かなりの悪路ってきいてるけど、何時間くらいかかるのかな?

きいてみよ。

「6時間くらいよ。え?キブイエから、チャンググいくの?たいへんよ。一度ここキガリに戻ってからじゃないといけないわよ」

ぬわにー?
わざわざ戻ってくる?

そんなことをしている暇はない!

そそ、それで、チャンググ行きは、今日乗れるの?

「このあと7時半に出るわ」

おいおいおい、もう8時過ぎてるだろ。

「それに乗れる?」

「乗れるわよ。切符は払い戻して。いま7時15分だから、あと15分で出るわよ」

は?いま、7時?15分?


もしかして、時差があるの????


そうです、ウガンダとルワンダは1時間の時差があったのです。

昨日からまったく気が付かなかった。

ここで、めでたく、チャンググいきに変更することができた。

乗合ミニバンはまたもやぎゅうぎゅう。

朝は、田園風景の中、アフリカの歌を合唱して、いい感じ。

でも午後から、山道をくねくね。私と隣の肩幅の広い兄ちゃんは、狭い長いすの陣地の1ミリ2ミリの攻防戦で、イライラ。

にいちゃん、肩組んでこないでよ!

我慢と冷戦の末、夕方にはチャンググに着いた。

ともに戦った肩幅の広い兄ちゃんとは、握手でお別れ。


私が宿を探している事を知ると、運転手のおじちゃんは国境から50Mの湖畔に行き、キリスト教会の宿泊施設に案内してくれた。
一泊5ドル。ありがとう!運転手のおじちゃん!

おじちゃんの運転するバンは、そのまま、コンゴに入っていった。

おーい、私もコンゴに連れてってー!

というのを無視して。

さて、シスターによると、5ドルで夕食も食べれるそうだ。「7;30から、5ドルよ」

ぜひおねがいします!まともにご飯を食べるのは久しぶりだ。

昼寝をしたりして7時半まで待った。

暗くなった教会宿、館内のシスターを探していると、係りのお兄さんが「シスターはお祈りの時間だよ。なにか?」

ディナーも食堂に用意されておらず、とぼとぼあきらめて部屋に帰ったのであった。


さぁ、明日はコンゴ入りだ。

ビザとってないけど、国境で取れるよね?
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by kumaf3 | 2006-10-08 18:06 | アフリカ編  

ブニュニ湖からルワンダへ

夕べは寒かったが、風邪薬を飲むと、少し眠れた。

あさ、7時に昨日乗せてくれたジェイソンの船がこの島まで迎えにくるので、6時前、まだ暗いが起床。月が明るい。

夜露でぬれてはいけない、とテントの中に干していた服は、結露のせいでひどく濡れていた。


ジェイソンは7時5分に島に丸木舟を漕いできた。

彼の島もこれより先にあるのだ。

30歳、子供が2人。旅行に行ってみたい?ときくと

「行きたくない。お金がかかるから。」

じゃあ、もし、億万長者になれたら?

「じゃあ、日本に行ってみたい。友達がいるんだ。」

ここに旅に来ていた日本人と仲良くなったらしい。


朝の丸木舟もいいもんだ。
f0050468_133568.jpg


8時には乗合タクシーが出ると、きのうジェイソンが言っていたが、この手漕ぎボートは間に合うだろうか。

あと10分で8時。


着いたー。少し8時過ぎているけど。3000払ってボートを降りる。

「ジェイソン、まだタクシーは来てないね。」

「きょうは土曜日だから、乗り合いタクシーはないよ。」

はぁ? アンタが昨日「ある」っていったんでしょーが。


まったく、朝からやる気を失う。

「ほら、バイクタクシーがきたよ、あれで行けば?3000(200円)だよ」

予算がないの!2000に負けて!

「だめだ」


じゃ、しょうがない。

村の朝早い人たちが港にやってきている。私の一挙一動を見て楽しんでいる。


「あの車はホワイト(白人)のだから、頼んでみたら?もうするボートでやってくるよ」

わかった、。それしかない。

しばらくしてモーターボートでやってきた白人のリーダーに頼むと、町まで乗せてくれることになった。ありがたい・・・。


彼らはポーランドからやってきた5人組で、ウガンダだけを3週間回るそうだ。

4WD車をチャーターしている。

連絡先を教えてもらったので、私のノートにカタカナで彼の名前を書いていると、面白がって覗き込んでいる。

彼の名前をついでに漢字で書いてあげた。「ヤーシュ=野趣」

アウトドアのことよ、と教えてあげると、とても喜んでいた。


町のタクシー乗り場でおろしてもらい、彼らのおかげで浮いたお金で水と食料を購入。

すぐ、ルワンダ国境行きのタクシーに乗る。

ルワンダの入国では

「なぜ、ビザを取ってこないんだ」といわれたが、60ドルでビザを買うことができた。

入国してから、ルワンダの首都キガリまで3時間。乗合バスは各村停車。

ミニバンの大きさで、補助席込みで15人乗りだが、19人乗ってぎゅうぎゅうである。

夕べテントで乾かなかったTシャツを車の中で干そうと広げていると、おばさんが、「こっちのほうが日があたって、乾くわよ」と自分の窓側で干してくれた。


ルワンダも緑豊かな国だ。

人は、ウガンダよりもゴリラっぽい。

首都キガリのバス乗り場で明日の「キブイエ」行きの時間と金額を確かめて、宿「ニューモダンゲストハウス」をさがすべく、バイクタクシーに乗った。

が!


ぜんぜん違うゲストハウスに到着。

ちがう!と言っているにもかかわらず、「ここまでの料金を払え」

払うもんか。それがあなたの商売ですか?


たまたまよってきた大きなバイクのタクシーに乗り換える。

「宿まで700(120円)だ」

うそー、高い!

大きなバイクの後ろにのり、丘を登る。これは徒歩ではいけないわ。

町の中心は丘の上にあるのだ。

ニューモダンゲストハウスはなかなか見つからず、またバイクタクシーを乗り換え、そのゲストハウスと、その後「虐殺記念館」に行く代金とあわせて「500」払うことにした。

ニューモダンゲストハウスは、バイク乗り場から角を曲がって100mのところに在った。

(ちなみに、ニューでもモダンでもない、ただのぼろい安宿です。)

なぜかバイクの太った兄ちゃんも一緒についてきてチェックイン。

荷物を降ろし、すぐに虐殺記念館へ。

バイクを降りると、「500では足りない」とゴネる。払うもんか。

さらに太ったゴリラ風の彼は、言葉の通じない私にむかって「今夜、ホテルで、一緒に、寝よう」

寝るわけないじゃん!バーカ。

(すみません、これからどんどん、ヤナことがあるにつれて、言葉遣いが悪くなります。本当にむかつくんですよ。ご了承ください。)


虐殺記念館は、1994年のルワンダ大虐殺と、世界の虐殺を記念した資料館。

3週間で50万人も殺された。

殺され方もむごく、エイズ感染者と判っていながら女性にレイプしたり、子供の前で両親を殺したり、大きな刀でめった打ちにしたり・・・。

入場は無料で、いろんなパネルやビデオ展示と、骨や衣服の展示、お墓もある。

この日着ていた黒人さんの団体は、お墓の前で鎮魂歌を歌い、泣いている人もいた。

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ちなみに、この首都キガリから80kmのところに、ミイラ化した死体27000体を保存している記念館もある。


さて、ここでのノルマはこれにて終了。宿で洗濯をし、またもや停電になったので、とっとと寝る。
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by kumaf3 | 2006-10-07 17:28 | アフリカ編