エルサレムにいます

エルサレムといえば、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地。

私の泊まっている宿にも、キリスト教の布教に熱心な方が居て、
毎日旅行者たちに無料で3食提供してくださいます。
韓国人なので、キムチがいつでも食べらるのもうれしいところ。

今夜は、同じく韓国から来た旅行者と、宗教談義に花が咲きました。

彼は、全世界にキリスト教の教会を建てるのが夢なんだそうです。

そんな彼に質問してみました。

無宗教の私がいつも思ってしまうことです。

世界の人はどうしてそんなに宗教に熱心なのか?


いくら熱心に祈っても、病気に苦しむ人はいるし、
貧困にあえぐ人はいなくなるわけではありません。


そんな私にその人は

「人間は弱いもの。ライオンのように強くないし、キリンのように背が高くないし、チーターのように早くない。そこで、神に祈るのだ。すると、神は答えてくれる。助けてくれる。」
と答えてくれました。

ある人が「1ドルほしい」と神に祈る、すると、だれかが彼に1ドルを与える、のだそうです。

まぁ、喜捨の精神がポピュラーな宗教もたくさんありますよね。


うーむ。世の中にはいろいろな宗教があり、信じることは自由です。
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でもやっぱり、私の場合は神に祈る時間があれば、貧困を防ぐために働こうと思います。
働く職場が無い人や、治る見込みの無い病気に苦しんだことのない私の、イージーな考え方なのかもしれません。


ドミトリーの部屋に帰って、同宿のリトアニアの女性とも、そんな話をしてみました。

彼女の国でも、多くはカトリックですが、無宗教の人も多いそうです。

「大切なのは自分で勇気を持つことだと思うわ。でも、全身全霊で信じる対象があるっていう事は、うらやましいと思う。私は今、それを探しているの」


ウンウン。


私「旅ってしんどいわー」

「そうね、1年間の旅って長すぎるわね。私も4ヶ月だけど、家に帰りたいもの。」

私「そうなのよー。私も日本の清潔な暮らしが恋しい。(けっこう、不潔な環境が多い)」

「じゃあ、帰りたい?」

私「ううん。帰りたくない。でも、疲れてるし、いろいろ大変なの・・・」

「どうして旅に出たの?」

私「そりゃー、自分のまわりの環境を変えたいと思って。環境を変えるためには、まず自分が変わらないといけないのよね。」


「そう。それは仏教の考え方よ。」


私「あ、そうなの?へぇー!」


「どうやったら自分を変えられると思う?」


私「うーん、むずかしい・・・。」




自分を変えるのは難しいけど、一日一日、いろんな事があって、いろんな人に会って、カルチャーショックがある。


自分の今までの常識が少しづつ、時には大胆に覆される。

凝り固まっていた脳みそがほぐされ、少しづつ、形を変えていると思う。


ピンチに直面したときの自分。

重い荷物を引きずって、4階まで安宿の階段を上がるときの「ええい!なにくそ!」と思うときの頼もしい自分。
苦手なタイプの人や、苦手なシチュエーションに面したときの情けない、いやらしい自分。



長旅を実行した今年ほど、濃い一年は今まで無かった。


旅においては、「観光」もすてきな感動をくれるが、「いろんな自分を感じる」ことで、人の気持ちが想像できるようになったり、自分の苦手な部分を認識し、改善するきっかけになったり。


私の願いをかなえるには、神に奇跡を乞うよりも、確実で有効な手段のような気がしている。



旅は遠回りのようで、そうではないと思う。
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by kumaf3 | 2006-09-10 04:28 | 中東編  

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